わたくし率イン歯ー、または世界
【ユーザーによる評価】 平均評価: 4.0/ 総数: 8件
私は奥歯、我が子は虚体?ぷふい!そこに在る人の、他の誰とも交代不可の「たったひとつのそこにある視力」。作中、この「視力」は「痛み」と並んで、無限に私は私、という自同律として語られる。人の顔は毎日露出しているから大事な所が薄れるのかも、という語り手の疑念は、奥歯への執着を説明してくれる。普段は視界から隠されているが、口を開け、鏡に映して自分で見るなり、他人に見せるなり出来る、奥歯。歯は、開いた口から現れるという点で、言葉と似ている。呑み込む器官としての口は、世界と他人を呑み込む自意識に似ている。そして、冒頭での語り手と歯科医の遣り取りは、自意識の奥から言葉を開いて見せる、カウンセリングに似ている。
彼女が歯科の前に化粧品売り場で働いていた話は、女性性という角度から<見る>と存在認定の問題を描いている。だから彼女が「ブス」と呼ばれるのも、他者による存在規定。
『雪国』冒頭の有名な文章には主語が無い、という話は、主語・主体の<見る/見られる>の無限連鎖からの解放を感じさせる。言葉だけに可能な、誰でもない視点。だからこそ、語り手の日記=言葉の中にしか存在しない架空の子は、存在問題を病む語り手の避難所になる。これが、実際に体を伴った存在としての子を生むとなるとまた存在の問題に抵触してくる点については、併録されている『感じる専門家 採用試験』で展開される。
一人称の、わたくし率100%で突っ走った表題作が、なにげに三人称へ、つまり言葉の上で他者の視点に代わる箇所は、その視界の内に占める語り手の居場所があちらかそちらかに在るような無いような語られようになっており、哲学的な目眩に誘われる。
真っ赤な表紙の間の白いページが、まるで歯茎の間の歯のように見える装丁は、紙のツルツル感と光沢も手伝って、本が入れ歯に見え、幻覚的。白いカバーが少し小さめで、赤い表紙をチラ見せしていたり、シンプルながら緻密な演出。 (2008-03-29)
彼女が歯科の前に化粧品売り場で働いていた話は、女性性という角度から<見る>と存在認定の問題を描いている。だから彼女が「ブス」と呼ばれるのも、他者による存在規定。
『雪国』冒頭の有名な文章には主語が無い、という話は、主語・主体の<見る/見られる>の無限連鎖からの解放を感じさせる。言葉だけに可能な、誰でもない視点。だからこそ、語り手の日記=言葉の中にしか存在しない架空の子は、存在問題を病む語り手の避難所になる。これが、実際に体を伴った存在としての子を生むとなるとまた存在の問題に抵触してくる点については、併録されている『感じる専門家 採用試験』で展開される。
一人称の、わたくし率100%で突っ走った表題作が、なにげに三人称へ、つまり言葉の上で他者の視点に代わる箇所は、その視界の内に占める語り手の居場所があちらかそちらかに在るような無いような語られようになっており、哲学的な目眩に誘われる。
真っ赤な表紙の間の白いページが、まるで歯茎の間の歯のように見える装丁は、紙のツルツル感と光沢も手伝って、本が入れ歯に見え、幻覚的。白いカバーが少し小さめで、赤い表紙をチラ見せしていたり、シンプルながら緻密な演出。 (2008-03-29)
著者自身へのレクイエムわたくし(自分の本質)が奥歯にあると決め込んだ精神錯乱気味の歯科助手の物語で、個々の読者にとって様々な多様性を持って働きかけてくる、とても読み応えのある小説だと思います。
主人公はつきあっている(と想定している)仕事で忙しくて会えない彼への想いを、未来の自分の子供に向けた日記に綴り、歯科では女性医師に苛められますが、既に耐性ができていています。なぜなら少女時代にもっと陰惨ないじめに合っていたから。
そうして、彼の浮気現場で、疾風怒濤の想いを、情緒を含む鋭利な大阪弁でぶちまけ、浮気相手にこれまた鋭利な憎しみを込めた大阪弁で反撃され、、、そして、その足で歯医者に向かい、わたくし=自分の本質=奥歯を、、、して、現実の世界へ舞い降ります。
これは、虚構の「わたくし率イン歯―」の世界から、現実の「わたくし率イン世界」への主人公の成長の物語です。
著者はその日記「そら頭はでかいです。世界はすこんと入ります」で、少女時代に働けど貧しい母親を見て、自分は生まれるべきでなかったと想い悩んで来たと吐露していますが、恐らく本作は、彼女自身が彼女の為に書かざるを得なかった、自分自身へのレクイエムだと思います。
(2008-03-18)
主人公はつきあっている(と想定している)仕事で忙しくて会えない彼への想いを、未来の自分の子供に向けた日記に綴り、歯科では女性医師に苛められますが、既に耐性ができていています。なぜなら少女時代にもっと陰惨ないじめに合っていたから。
そうして、彼の浮気現場で、疾風怒濤の想いを、情緒を含む鋭利な大阪弁でぶちまけ、浮気相手にこれまた鋭利な憎しみを込めた大阪弁で反撃され、、、そして、その足で歯医者に向かい、わたくし=自分の本質=奥歯を、、、して、現実の世界へ舞い降ります。
これは、虚構の「わたくし率イン歯―」の世界から、現実の「わたくし率イン世界」への主人公の成長の物語です。
著者はその日記「そら頭はでかいです。世界はすこんと入ります」で、少女時代に働けど貧しい母親を見て、自分は生まれるべきでなかったと想い悩んで来たと吐露していますが、恐らく本作は、彼女自身が彼女の為に書かざるを得なかった、自分自身へのレクイエムだと思います。
(2008-03-18)
不思議な感覚に浸れますなんとも不思議な読後感だった。一息ついてストーリーを追い直してみる。統合失調症患者の妄想のような一見、支離滅裂な話が続く。自分の奥歯に自我があると「決めた」女が、まだ宿してもいない自分の子どもと中学時代に「自分が知りたい秘密」を教えてくれた男の子へ向けて手紙を書く。その内容は正しく妄想そのもの。しかし、この本のテーマである、わたし、自己意識、自我についての考えは実に深い。哲学の独我論にも通じる。アルバイト先の歯医者でも妄想が続くが、これは自らの影を見ていると思える。そこへ実物のその男が患者としてやってくる。女は男をアパートへ訪ね、怒涛のわたくし論をブっぱなし「奥歯(男の自我)ちょうだい」とたたみかける。それに対峙する男の部屋から出てきた女が、読んでいて笑えるまでに痛快な現実を突きつける。これがクライマックス。後半の展開も興味深い。奥歯を麻酔なしで抜きながら頭に浮かぶのは過去に受けた陰湿ないじめの光景か。最後の3ページには、すべての始まりを予感させるエピソードがこの部分だけは全く普通の文体で書かれている。このリズムはハマる。人物の心を生々しく描写する著者の力はすごい。
もう一つの「感じる専門家 採用試験」での、妊婦の葛藤の描写も妙にリアルで素晴らしい。子どもを生んだことはないだろうに。
「乳と卵」も是非読みたい。
(2008-01-18)
もう一つの「感じる専門家 採用試験」での、妊婦の葛藤の描写も妙にリアルで素晴らしい。子どもを生んだことはないだろうに。
「乳と卵」も是非読みたい。
(2008-01-18)
想像力を駆り立てて読めました理解しようと思って読むと、読み進めるのが困難かもしれませんが、細かいことを気にせずに読み流していくと、リズムがあって読みやすく、インディーズ映画のようなポップな映像を思い浮かべることができました。不自然な句読点や無意味そうな表現も、その映像に音響効果や特殊効果をもたらしました。映画にするとかっこよさそうな描写が多くあり、楽しめました。下手に詳しく書かれていない分、想像力を駆り立てて読めました。一方で、自分を見失い、生きる意味を探し求める主人公は、深く描かれており、共感するところも多くありました。帯にあった「ほいでもって泣くで」のコピーは、かなり正しいと思われます。 (2007-08-28)
この手に何度も乗るほど「暇やないねんて」ってのも一方ではあるけど 脳でも子宮でもなく奥歯が書いた私(わたくし)小説。もうこの設定自体、許せない人には許せないだろう。俺にしたって、タイトルはちょっとヤバイと思ったけど、ロリっぽい著者近影と意外に30越えの年齢のギャップに「ほしのあき?」的な関心で手に取ったわけで。
内容はと言えば、もう、わたしわたしわたしの脳天パラダイス状態。大阪弁がまた、言葉から理性を奪い去る。もう、この言葉の羅列には、理性も客観も物語もコミュニケーションも何ひとつなくて、あるのは肥大した「わたし」だけ。日付の前後する日記とかはちょっと吉田戦車風で、そこら辺の稚拙な作為が見え隠れするのが何だけど、まあ、よく引っ張るよなぁ。まあ、勘違いして手に取った人も普通は2〜3ページで放棄するんだろうけど、読み始めたらとりあえず最後まで読む貧乏性で律儀な俺としたら、いつご褒美がもらえるのか、サービスシーンがあるのか、って望み薄でも期待しちゃう訳だ。そんな勝手な罠にはまって読み進めると、そこにあるのはノイジーな、救いのない、気のふれた、不快な、目を覆う、自己完結の、退屈な、鬱陶しい、ノーサービスのわたしわたしわたし、なんだけど。
「わたしわたしうるさいねん。奥歯とか雪とかさっきから何をゆうとんねん。いっこもなんも意味わかってへんからこっち百パー意味わかってへんから。ってゆうか、あんたおかしいやろ?」「っていうかまず人に話するときの努力をしろよ。おまえよ。間違ってるやろがそもそもが。みんな忙しいねん」っていう、やっとまともに文脈の通じる「わたし」以外の言葉が登場して、この小説の構造自体が相対化されるんだけど、ここの部分はカタルシスっていうか、逆にここまでの「わたし」語りの異物感を際立たせもする。言葉とか私とか意味とか文学とか、考えさせられる。まぁ、この手に何度も乗るほど「暇やないねんて」ってのも一方ではあるけど。 (2007-08-20)
内容はと言えば、もう、わたしわたしわたしの脳天パラダイス状態。大阪弁がまた、言葉から理性を奪い去る。もう、この言葉の羅列には、理性も客観も物語もコミュニケーションも何ひとつなくて、あるのは肥大した「わたし」だけ。日付の前後する日記とかはちょっと吉田戦車風で、そこら辺の稚拙な作為が見え隠れするのが何だけど、まあ、よく引っ張るよなぁ。まあ、勘違いして手に取った人も普通は2〜3ページで放棄するんだろうけど、読み始めたらとりあえず最後まで読む貧乏性で律儀な俺としたら、いつご褒美がもらえるのか、サービスシーンがあるのか、って望み薄でも期待しちゃう訳だ。そんな勝手な罠にはまって読み進めると、そこにあるのはノイジーな、救いのない、気のふれた、不快な、目を覆う、自己完結の、退屈な、鬱陶しい、ノーサービスのわたしわたしわたし、なんだけど。
「わたしわたしうるさいねん。奥歯とか雪とかさっきから何をゆうとんねん。いっこもなんも意味わかってへんからこっち百パー意味わかってへんから。ってゆうか、あんたおかしいやろ?」「っていうかまず人に話するときの努力をしろよ。おまえよ。間違ってるやろがそもそもが。みんな忙しいねん」っていう、やっとまともに文脈の通じる「わたし」以外の言葉が登場して、この小説の構造自体が相対化されるんだけど、ここの部分はカタルシスっていうか、逆にここまでの「わたし」語りの異物感を際立たせもする。言葉とか私とか意味とか文学とか、考えさせられる。まぁ、この手に何度も乗るほど「暇やないねんて」ってのも一方ではあるけど。 (2007-08-20)
・ 先端で、さすわさされるわそらええわ
・ そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります
・ 頭の中と世界の結婚
・ 夢みる機械
・ 悲しみを撃つ手
Tag : 川上未映子
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